最近好きになった、ヒップホップアーティストとお笑い芸人。
どちらも生き様を晒しているかと思ったら、実は割と正反対のことをしている。
ヒップホップは自分のことしか言わない。
ノンフィクション。
自分が感じたことしか声に出せない。
だから格好良い。
魂全部伝わってくるし、だから心にくる。
芸人さんは、(私が好きな範囲の人たちの中で)見取り図やマヂカルラブリーが特に「全部嘘です」という。
自分の生き様をエンターテインメントに昇華して、笑いに変えて届けられている。
だから格好良い。
嘘か本当かなんてどうでも良くて、面白ければ良いんだから、それで良い。
だから好きなんだから。
だからこそ、ヒップホップで、自分がもがいている姿が映し出されたらつらいし、
等身大で書かれていたら自分と同じなんだって何度も心救われるし、
嘘つかずに見栄張れることを教えてくれたし、
芸人さんの嘘に何度も笑えるし、
虚像に全力をかけている姿はイカついし、
たまに見えるこの言動は本当だと思ってもいいんじゃないかと考えるのも楽しい。
実は両極端。
だからこそ正反対の一致。みんな同じことしてるだけ。
あ~~~~~~~きょうもきょうとてかっけぇわ。ずる。
強いエピソード持っている人、言い換えれば人生山あり谷ありだった人、が結局笑いに歌に変えられるのがこの世界だと思う
でも、何もなかったやつの逆襲、ができるのがお笑いでありヒップホップである、と教えてくれた人たちもたくさんいる。
己の実力で、ネタの面白さでのしあがってきた人が沢山いる。だから格好良い。
そんな悪いことかなって思う、
怒ることが少なくなる
年齢が上がるにつれていろんな考えができちゃうようになるの、それはそれで大変で
でもそれをネタに歌に昇華して。
この人たちどこまでもすごいや
追記。
マツコ会議、Creepy Nuts回をみる。
やっぱり、似てるじゃんってなる。HIPHOPとお笑い。
いや、まず、この番組で思ったことだけど
本当にクリーピーナッツは「たりないふたり」なんだなと思った。
ボースティングが主流のHIPHOP界で、自分たちの劣等感とかそれ故の強さを出したの、やっぱり彼らはたりないふたりで、そこが武器になったから最強になって、実力に評価が追いついて、ちゃんとボースティングしてくれるし。そこで謙遜なんて一切しないし。
「格好良いと格好悪いが両方できる人」で「格好つけているだけができない人たち」というのが良いなと思った
そのうえで。松永さんが
「暴力的なことや倫理的にアウトなことを許容する、というHIPHOPの価値観が日本人と合わない」というようなことを言っていた。
これは、今のエンタメ全部に言えるな。
特に今一番影響受けてるのは暴力的な罰ゲームやってる/受けてる人たちとか、偏見をネタにしている人たちかな。
「本当のことを嘘っぽくいうエンターテインメント」とか
「誰かの悪口を楽しくいうからエンターテインメント」とか。
その通りだよね。
まじで、数ヶ月前の私、これが言いたかった。
HIPHOPは本当をうまく歌詞にしているけれど。
エンタメは時に嘘を本当のように、本当を嘘のように。“笑い”のために。
なんで、ネタで、テレビで言っていることがその人の全てと捉えてしまうんだろう
その歌やその発言、全部批判されてしまう。
ちょっと話変わるけど
マツコ会議内での発言に対しての考察も、
マツコ会議を見たか見てないかは置いておいてその発言だけを切り取って批判している人と大差ないなと思ってしまった。
結局本人の真意なんて分からないのに、その発言を利用して自分の意見を言う、というところは、結局何も変わらない、私も然り。
この発言がどう、とか言わないから
あなた方のままを応援するよ、ってことはもう少しつらつら書かせてほしい。
脱線。
そんな今までの歌詞に「俺は謝るつもりはない」「その時の俺の考え」と責任と覚悟持ってるRさんが格好良かった。
そんなこと思ったことないけど。倫理観あってない!こんな歌詞あって良いわけない!!って思ったことは一切ないけど。その中でもこの発言は、最高に格好良かった。
そして、こんな風潮になんで?とこれはネタだよ?って伺いを立てる彼らのネタもまた然りだよ。
最高に格好良いじゃないか。
ちょっとそういう発言があるだけで(良くも悪くも)盛り上がってしまうこの世の中で。
まじで、このネタをやること、ラップをすることに意義があると思うから。
世の中、ただ自分の意見言うだけで終わっちゃいけないのではないか。
今こそ過渡期なのではないか。年末、楽しみだな。