囲碁将棋の「言葉の壁を越える」
実際は全然越えられていない
二人で意思疎通が取れていないから越えられていない、ではない
お客さんが笑えるってことは「変な動きしていること」とかそこに「ツッコミをする」とか「俺あっちいくわ」とかが伝わっているから
この時点でこの理解の間に「言葉」が存在しているし、これはジェスチャーorサイレントで漫才ができるか、であって言葉の壁を越えられるか、にはなっていない
んーやあーとかの自分にだけ意味がわかる「私的言語」であれば伝わらないかもしれないけどこれも“言語”であるため言語の壁を越えているとは言えない
人はジェスチャーにも言葉を見出せるし
目や表情からも言葉が読み取れる
言葉の壁を越えるのはただでさえも難しいのにそれを漫才で越えるのはほぼ不可能だと思っている、今は
…絶対にここまで考えてないのはわかるけど
「言葉の壁を越えたい」って言葉を聞いてとっても心躍った!!!!!まあジェスチャーの時点で上のこと思っちゃって純粋に楽しめなかったのは残念。笑私のせい
このテーマを漫才にしようとした囲碁将棋が好きすぎた。
「人生半分損してる」とか「旧〇〇」とか。ちょっとずつ思っていることをうまくやってくれる囲碁将棋がすきすぎるんたよなぁ
年末の単独ライブをみて、改めて。
言葉の壁を越えたいって言われるたびに思っちゃうけど、でも越える方法もっと私が追求する。から。
年始から楽しませてもらいました、言葉の壁
痺れる
なんでこれ2022年1発目やねん!!!!!!!